大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和50年(あ)958号 決定 1977年3月25日

本籍・住居

静岡市牧ケ谷三一一番地の三

木工業

柴山静夫

昭和七年三月三〇日生

本籍

静岡市古庄六〇九番地

住居

同所六〇九番地の三

静岡生活と健康を守る会事務局長

大長孝雄

昭和一三年九月二二日生

右の者らに対する公務執行妨害各被告事件について、昭和五〇年三月二五日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

一、弁護人石田享の上告趣意のうち、憲法違反及び最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号同四八年七月一〇日第三小法廷決定・刑集二七巻七号一二〇五頁との判例抵触をいう点は、原判決の認定と異なる事実を前提とする所論であつて不適法であり、最高裁昭和四一年(あ)第一〇八号同四三年一〇月二五日第二小法廷判決・刑集二二巻一一号九六一頁との判例抵触をいう点は、右判例と本件とは事案を異にして適切でなく、その余の点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

二、弁護人小林達美の上告趣意のうち、所得税法二四二条八号、二三四条一項の規定の構成要件としての不明確性を主張して違憲をいう点は、右規定の文言の意義はなんら明確性を欠くものとはいえないから(最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号同四八年七月一〇日第三小法廷決定・刑集二七巻七号一二〇五頁参照)、その前提を欠き、その余の違憲をいう点は、いずれも、実質において、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

三、弁護人鶴見祐策の上告趣意第一点は、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、違憲をいうが、その実質において、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

四、弁護人佐藤久の上告趣意は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高辻正己 裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一)

○昭和五〇年(あ)第九五八号

被告人 柴山静夫

外一名

弁護人石田享の上告趣意(昭和五〇年七月三一日付)

原判決は予断と偏見に基くもので、憲法第三一条、同第三七条一項、同第三二条、同第八四条、同第三〇条、所得税法第二三四条一項三号、刑事訴訟法第一条、第三一七条、刑法第九五条一項に違背し、もしくは著るしくその適用を誤つた違憲、違法があり、且つ後述のとおり最高裁判所の判例を無視し、更に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があつて破棄されなければ著るしく正義に反する。

一、実質上無制限な質問検査権の行使

(憲法第八四条、第三〇条、第三一条、所得税法第二三四条第一項三号、刑法第九五条第一項違背及び昭和四八年七月一〇日最高裁判所第三小法廷決定違背)

原判決は所得税法第二三四条第一項につき、純形式的に最高裁判所第三小法廷昭和四八年七月一〇日決定(刑集二七巻七号一、二〇五頁)を引用し、恰も「当該調査の必要性と相手方の私的利益とを比較衡量し社会通念上相当な限度内」という歯止め、制約を判示しているかの如くである。

しかし、原判決は予断と偏見にとらわれ、一審判決が明示する事案の真相、前記最高裁判所第三小法廷決定の実質的意味をも全く無視し、所得税法第二三四条第一項三号の解釈適用を著るしく誤り、ひいては刑法第九五条第一項の解釈適用を誤つたものである。一言でいえば、原判決は右最高裁判所決定が明示した質問検査権行使に関する最低の制約さえ、実質上完全にとり払い、全く無制限に税務当局の意向次第で、いつでも、誰に対してでも発動できるものと化せしめた。

主な点を拾うと、

(一) 一審判決の引用する昭和二六年一〇月一六日付国税庁長官通達(直所一-一一六)を吟味するにさいし、右国税庁長官通達につき、本件税務調査を担当した森、五十川両事務官が、その通達を全然知らないまま、換言すれば右通達と何らかかわりなく本件反面調査を行つていた事実(森勇及び五十川隆の一、二審証言)と離れて、「通達に明示されていない場合であつても、通達の趣旨に反しない場合まで当該税務職員の行動を規制する趣旨でない」と独断して両事務官の本件反面調査を合理化し(原判決五丁)、

(二) 本件反面調査先の静岡市農業協同組合南藁科出張所につきその統括責任者としての主任の存在(牧野光男一、二審証言)を全く無視し(原判決七丁、一〇丁)、

(三) 右南藁科出張所主任牧野光男の一、二審証言、大森京子一審一二回証言等によれば、本件以前にも酪農関係者の預金調査を税務署員が求めてきたことがあつたが、その際にも右出張所では反面調査要求を拒絶しており、且つ牧野主任は貯金の台帳等は「税務署が来ても見せなくてもいいように」「仕事をする関係でそういうことを聞いていた」しまた「預金の秘密」ということも聞いており、「軽々しくほかの人に見せてはいけない」と考えるよう指導されていた、という明白な事実があるにもかかわらず、これを全く無視し、直接証人大倉亀義を取調べた一審判決が、右の明白な事実及び農協幹部が本件の翌日税務署に呼び出されていること等(森内五郎一審証言)の事情との対比から信用しなかつた一審証人大倉亀義の「税務署からの預金調査には協力するように上司からいわれていた」などという後日のつくり話としか考えられない供述を拾い上げて、有罪とするためには手段を選ばず、

(四) また一審森内五郎証言によれば、森内支所長の経験としては税務調査が本件の場合はじめての経験であり、「なるべく預金者の要望を入れてやる」というたてまえであり、本件南藁科出張所に赴いてから、森、五十川両事務官に対し「どういう理由で見えられたんですか」と問い、更に「調査の理由というのは……はつきりさせたらいいじやないか」「ここまでくる前に調査すべきことがあつたんじやないか」と本件反面調査のやり方の不当、非常識を非難し、更に「写したものを私に預らせてくれ」とまで言明しているのである(一審判決一〇~一一丁も事実として認めている)。

にもかかわらず、原判決はこうした静岡市農業協同組合の税務調査に関する考え方を端的に表現している事実と意思を全く無視し、「右大倉次長等組合側の者から調査の開始時およびその後の段階において、とくに調査の具体的理由の告知を求められたことはなく」(原判決八丁)などと証拠を無視して(刑事訴訟法第三一七条違背)、判決に影響を及ぼす著るしい事実誤認を平然と犯し、

(五) 被告人柴山宅への臨宅調査の実施が「容易にできなかつたわけではない」(一審判決二〇丁)にもかかわらず、「実質的に不可能な状態にあつたものと認められ」(原判決六~七丁)などと独断し、その独断のうえに立つて、昭和二六年一〇月一六日付国税庁長官通達(直所一-一一六)の五に関連し、本件の場合は「右にいう『帳簿書類がない場合』と同視しうる」(原判決七丁)などと独断類推している。

こうした証拠の無視と公然たる事実誤認、更には国税庁の通達の歯止めをも取り払うことによつて、所得税法第二三四条一項に関する一定の制約、しかも自らが形式的にのみ承認した前記第三小法廷決定の制約をも実質上完全に取除き、税務職員による質問検査権の行使が全くの自由として了つたのである。そこに税務調査における適法手続の原則(憲法第三一条)は全く見られず、基本的人権の全的否定の実質のみが露骨に横たわつている。原判決を終りまで一読するとき、そこにあるのは憲法の欠落であり、近代市民社会の欠落であるといわざるを得ない。原判決は予断、偏見のかたまりである。

二、原判決は、所得税法第二三四条一項の質問検査権をして、税務職員に対し、封建時代の幕府(代官)、藩主が領民に対しほしいままの検地、検見をなしたのと同様の権限を認めたものである、といわねばならない。

私は、本件一審のはじめの意見陳述において次のように問題の所在を述べた。重ねて、その一部を述べねばならない。

かつて勤労人民は、国王や封建領主のほしいままに、自らの勤労の成果である生産物を奪い搾られていた時代があつた。例えば、日本の徳川時代、幕府や藩主は当時圧倒的な多数を占め、その社会を支えていた農民に対し「胡麻と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」といつて重税を課していた。その重税を課するための検地、検見などは幕府(代官)や藩主が勝手にすることができた。そして義人佐倉宗五郎が、農民に対する苛酷な租税負担を軽減させてもらうべく幕府に直訴しただけで打首とされたように、人民は幕府、藩主に対し希望や意見を言うことさえ許されず、支配者と被支配者との関係は、全く一方的な、切捨御免の、むき出しの「むち」の力によつて「秩序」立てられていた。生活ができなくなつた百姓は、禁を破つて逃亡したり(消極的抵抗)、或いは時により一揆を起こして幕府や藩主に正面切つた抗争(積極的抵抗)を行なつた。百姓一揆は、当時の支配者がいうような「百姓の気儘」によるものでは決してなく、本居宣長が指摘したように、農民を「堪えがたき」に至らせた幕藩体制の重税と悪政が原因だつた。徳川時代の農民に対するこうした苛斂誅求を保障した重要な手段は、絶えざる検地、検見であり、幕府や藩主がほしいままに、いつでも行うことができた。……徳川時代の幕府や藩主が百姓に重税をかけるため、ほしいままに検地、検見を行つたのと同様の、ほしいままの検査が、今の時代に名を質問検査権と装つて、なお権力的に行なわれている。

主権在民の憲法の下で、徳川幕藩体制下と同様の税務職員によるほしいままの質問検査権の行使が許されてよいであろうか。質問検査権という名をつければ、どんなことを、いつでも法律の名によつて国民に強制できるものとすることができるのであろうか。これが本件の根本的な問題ではないか。

もちろん、憲法が国民主権を宣言し、基本的人権の享有と保持の義務をうたい(憲法前文、一一条、一二条等)、租税法律主義(八四条、三〇条)、適法手続の原則(三一条)、住居の不可侵(三五条)等々を規定している現代日本において、徳川時代の検地、検見のような、ほしいままの税務調査は絶対に許されていない。

租税法律主義は租税制度の実体と手続とを、厳しい制約下におき、財産権等に対する課税面からの侵害を法律によつて制限しようとするものとみなければならないことは、その形成の歴史(マグナカルタ、不承諾課税禁止法、権利請願、権利章典、ヴアージニア権利宣言、フランス人権宣言に至る)とそこに展開され、近代市民社会の制度、法思想として結晶した考え方をみれば明らかである。……質問検査権はほしいままの行使を許すものではない、ということが先づ判つきりさせておかねばならぬ第一の前提である。

原判決は、実質上この第一の法的前提を完全に無視した。前記第三小法廷決定は、この第一の前提を充たすには著るしく不十分と考えるが、原判決は右決定の僅かの制約さえも、それを更に形式化、形骸化することによつて、実質上無意味なものに化した。従つて不可避的に、封建時代の検地、検見と同じ役割を質問検査権に担わせることにならざるを得なかつたのである。それを更に判然とさせるものは、原判決が本件事案の特徴を完全に無視しなければならなかつたことである。

三、本件事案は、前記最高裁判所第三小法廷決定の「私的利益との衡量において社会通念上相当な限度」という極めてゆるやかな制約からさえ、完全に逸脱した違法な反面調査であることに最大の特色がある。

(一) 静岡市農業協同組合南藁科出張所主任(出張所の統括責任者)牧野光男は本件反面調査を拒絶した。

牧野主任は預金の秘密ということもあり、また後述するように、被告人柴山から予め税務署が来ても預金調査に応じないようにという依頼もあり、更に後述のように酪農関係者に対する反面調査を拒否した経験もあり、仕事上「税務署が来ても預金調査に応じなくてよい」と聞知していた(牧野光男一、二審証言)。そのため、本件反面調査にあらわれた森、五十川両名からの預金台帳の呈示の申入れを拒絶した。「牧野は、両事務官を同出張所応接室へ案内し両事務官が被告人柴山とその家族の預金の台帳を見せてくれと要求したのに対し、事前に同被告人から税務署の者が同被告人の預金を調査に来ても台帳等を見せないでくれと頼まれていたこともあつて、『本人も見せては困るといつているから今日は見せられない。帰つてもらいたい。』と両事務官の要求を断つた」(一審判決書六丁)のである。農協出張所によつて明示の拒絶に出会つたのである。この事実は森、五十川ら自身もしぶしぶながら認めざるを得ない真実(森勇、五十川隆の一、二審証言)であつて、原判決も、この事実自体を否定することはできなかつた。

(二) しかも牧野主任は重ねて調査を拒否した。

牧野主任から調査要求を拒絶された森、五十川は常識人である限り、少なくとも本件当日の反面調査をあきらめるべきであつた。牧野光男一審証言によれば、同人はかねてから仕事上の関係で税務署員が来ても預貯金台帳等は見せなくてもよい旨聞いており、預金の秘密保護という責任感も手伝い、更に被告人柴山から税務署が来ても見せないよう申入れを受けていたため判然と拒否した。

ところが、森、五十川らは「静岡銀行などでは見せる」「この調査証を持つていろんな銀行へお邪魔して調査さしてもらつておりますからお宅でも協力してもらいたい。」などと告げて、更に見せるよう牧野主任に迫つたが、牧野主任は、重ねて「見せられない」旨明言して調査を拒絶したのであつた。

(三) 本件以前の酪農関係者に対する反面調査のため税務署員が本件出張所を訪れた際にも牧野主任は調査を拒絶したがしかも、その際の税務署員は、そのまま帰つていつたのである。

牧野光男、大森京子の一審第一二回公判廷証言における各証言により認められる牧野主任のこうした経験からしても、森、五十川両事務官は、本件当日の反面調査はあきらめて、そのまま帰るべきであつた。

(四) 森、五十川両事務官の居直りの三回にわたる調査拒絶

ところが森、五十川らは引返さなかつた。「所長に連絡してもらいたい」(一審判決六丁裏)と言つて、いくら牧野主任が断つても聞き入れずに居直つた。そこで困惑した牧野は余儀なく静岡市農業協同組合藁科支所に電話をするが、所長が丁度不在であつたため、次長の大倉亀義に電話で指示を求めたところ、「大倉次長から『出張所の考えで適当にやつておけ』といわれた」のである(一審判決、六丁裏)。

そこで牧野主任は、森、五十川両事務官に対し「見せられないから帰つてもらいたい」と三度び調査を拒絶した。質問検査権が任意調査であり、特に預金調査が昭和二六年一〇月一六日付国税庁長官高橋衛の名古屋国税局長宛通達(直所一-一一六)の五、六項で厳しく必要性の要件がしぼられていることに鑑みるならば、税務署員として税務行政にたずさわる者の常識としても、牧野主任の度重なる調査要求の拒絶に出会い、支所と電話連絡までした牧野主任から重ね重ね拒絶され、「帰つてもらいたい」とさえ言われた以上、そこに踏み止まつて、居直ることは到底許されるべき「常識」ではないし、勿論、「社会通念上相当な限度」に非ざること明白である。

(五) 農業協同組合南藁科出張所、被告人柴山とその家族の私的利益の無視

本件反面調査を拒否した牧野光男主任の認識として、預金の秘密、預金者保護すなわち誰に対してでも農協の預金の秘密を守るべき義務が農協職員にある、という出張所統括責任者としての責任感があつたことは同人の一、二審証言をみれば明らかである。その意識を支えたものとして、一般銀行と農業協同組合との差違をみなければならない。それは何か。

その一つに戦前の農業会から戦後の農業協同組合に発展した農業協同組合の歴史と農業協同組合法第八条の組合員に最大の奉仕をすることを目的とするという性格規定の存在を指摘しないわけにはいかない。農協は組合員(準組合員を含む、以下同じ)の農協である。農協の円滑な発展は主人公である組合員の理解、協力がなくしてはありえず、逆に正常な組合運営がなされている農協組合員は自己の主体的団体として身近に信頼を寄せているのである。そこには農協即ち組合員への奉仕という観点が強く働くことによつて農協の正常な運営がなされている。そこには農業協同組合法第八条という法的根拠まで存している。

牧野光男証言には根拠がある。組合員(被告人柴山も、いわゆる準組合員で同様)と農協は、一般市中銀行と預金者との関係とは法的にも歴史的にも異質である。換言すれば、組合員の利益がすなわち農協の利益という関係にある。

それだからこそ、静岡市とは言うものの安倍川の向う西外れの田舎にある南藁科出張所統括責任者としての牧野光男は農業協同組合の忠実な職員として、森、五十川両静岡税務署員の被告人柴山に対する反面調査の申入れを即座に、重ねて、更に支所次長大倉亀義とも連絡して明確に拒絶し、「帰つてもらいたい」と告げたのである。そこには、本件当日より暫く前に、酪農関係者の預金調査に来た税務署員の調査申入を拒否したとき、税務署員が、そのまま帰つて行つた経験も作用していたに違いない。そのさいも、本件の場合も農協の利益すなわち組合員の利益(農業協同組合法第八条)という関係の下で、牧野主任が調査を断つたものであつた。

同じ意識は、大倉亀義、森内五郎両名の一審反対尋問に対する証言部分を見れば、同人らにも存したものであることが明白である。直接両名を取調べた一審判決が、次のように判示していることを見なければならない。

「そこで牧野は、応接室に再び行き、両事務官に藁科支所では支所長も留守で次長もこういつているけれども、自分としては見せられないから帰つてもらいたい旨告げた。しかし両事務官は帰ろうとせず、次長を呼んでほしいというので、困り切つた牧野は、再び藁科支所へ電話をかけ次長に来てくれるよう連絡した。その結果、午後二時二五分頃、大倉次長が同出張所へ来て、応接室で両事務官から前記調査証を示され、調査に協力してほしいといわれ、やむを得ぬと考え」て普通預金元帳カードを示したのであつた。大倉亀義は支所勤務であり、本務を放置して税務署員に出張所まで呼びつけられる義務は何もなかつた。呼びつけられ、強要されて「やむを得ぬ」と考えざるを得なくさせられたのである。その上、大倉もなお抵抗の姿勢を全く崩したわけではなかつた。森が「定期預金はありましたか」と聞いたところ、大倉は「定期預金はありませんでした」と答えているのである(一審判決七丁裏)。事実は定期預金証書控があつたのに「定期預金はありませんでした」と返答したのは、この場合、大倉にとつて反面調査に対するできる限りの抵抗の意思を示したものである。

森内五郎支所長の反面調査に対する抵抗の姿勢は大倉よりも強く、牧野の拒絶に近い。

「午後三時三八分頃、次長から電話で連絡を受けた森内藁科支所長が応接室に入つてきた。そして、互に自己紹介した後、支所長は両事務官に対して『どういう理由で見えられたんですか』とたずねたので、森事務官が『柴山さんの所得税の調査をするためにお邪魔しました』と答えたところ、支所長は『私どもも金融機関ですので預金者本位にならなければならないし、今度の場合本当に困つた』と述べた。森事務官は、それに対して『我々は署長命令で来ているんですからその人たちを立ち退かせて下さい』と支所長に頼んだが、支所長はその要求に応じなかつた。……(中略)……両事務官に対して、支所長は、『どういう理由があつて調査に来たのか』『調査の理由というのは具体的に柴山さんの所得税の申告がどこがおかしいのかというふうなことについてもはつきりさせたらいいじやないか』『ここまでくる前に調査すべきことがあつたんじやないか』と非難した」(一審判決一〇~一一丁)。支所長は税務署員に対して非難を加えている。農業協同組合法八条からして農協と組合員の利益を不当に侵害した者に対する支所長としての非難は、誠にもつともであり、当然であつた。

四、不正、不当極まる判決

原判決は不正にも平然と証拠と真実を無視し、著るしい事実誤認を平然とやつてのけたという特徴がある。裁判所としての品位ないし節度もない。あるものはなりふりかまわず有罪判決という結論目指しての理屈付け、しかも目茶苦茶な理由付けのみである。このような原判決は破棄されねばならぬ。

(一) 南藁科出張所に責任者はいなかつた(原判決七丁裏)のか。

原判決は南藁科出張所に責任者はいなかつたと決めつけた。

しかし笑談ではない。静岡市農業協同組合南藁科出張所には所長という名称ではないが出張所主任という名称の責任者がいたのである。

◎牧野光男一審一二回証言

弁護人(小林)の問に対し

飯間から静岡市農協南藁科出張所に転勤になつたのはいつですか。

四三年六月一〇日の発令だと思います。

この事件が、四三年一二月二日に発生していることはおわかりですね。

はい。

四三年六月一〇日、南藁科出張所にあなたが勤務替えになつたとき、あなたは、どういう肩書きというか、どういう地位で南藁科出張所へ行かれたんですか。

出張所主任です。

南藁科出張所長というのはないんですか。

ないんです。

そうしますと南藁科出張所の責任者は主任ですか。

そうです。

◎牧野光男二審八回証言

小林弁護人の問に対し、

あなたが南藁科出張所主任として在職中の昭和四三年一二月二日のことを中心にお聞きするわけですけれども、南藁科出張所は出張所長というものはございませんでしたね。

はい、ありません。

出張所主任、つまりあなたが南藁科出張所の責任者でございましたね。

はい。

・・・・・・・・・・

余り多言を費す必要はない。毎日、出張所として農協としての事務、更に附随的に簡易郵便局としての地域的な郵便事務が継続して営まれているオフイスに責任者がいないわけがない。名称は主任であれ、出張所の総括責任者であつたことに変りはない。出張所主任とは出張所の統括責任者であることの職名なのである。

(二) 原判決は本件を有罪とするためには牧野主任が出張所の責任者では困る、と考えたものである。

ところが、牧野主任は徹底して反面調査を拒否した。本件の暫らく前頃、酪農関係者のところにも反面調査をするため南藁科出張所へ税務職員が来たことがあつたが牧野主任は、その時にも反面調査を断つている。その時は、いわば常識、社会通念に従つて税務署員は帰つていつた。本件では牧野主任から三度び拒絶され、しかも三度目は支所の大倉次長からの指示を受けたうえ、牧野主任が断つたものであつた。森、五十川が牧野主任から三度び断わられ、しかも「今日は帰つて貰いたい」と追い立てられる言葉まで明言されて、なお且つ居直つた行為は、明白な職権濫用といわねばならない。森、五十川らの行為は明らかに暴挙であつた。原判決は、この明白な事実に触れることを避けなければならなかつたのであり、そのために、あえて牧野主任を、こともあろうに無権限として抹殺しなければならなくなつたのである。原判決自身、全能の権限者に仕立てあげた藁科支所大倉亀義の指示の下に牧野主任は南藁科出張所の責任者として三回目の調査拒否を明言していたのに。

結論にしぼろう。

1 南藁科出張所には主任というすべての事務を出張所で統括する責任者牧野光男がいたのである。

2 しかも牧野主任は、原判決が全能の神の如き存在とまつり上げる大倉次長の指示をも受けたうえ、本件調査を断つていたのである。

3 牧野主任は前記三の(四)で論証したとおり、農業協同組合の出先出張所の責任者として農業協同組合法第八条に忠実に従つて本件反面調査を三度び拒絶したものであつて「牧野主任との間に意思の疎通を欠き、若干のトラブルを生じた事実」(原判決七丁)などと歪曲できるすじ合いではない。

4 前記三の(四)でみたとおり、森内支所長は本件調査開始時以後、明確に「調査の具体的理由の告知」を森、五十川両名に要求しているのであつて(一審判決一〇~一一丁森内五郎の一審証言のうち弁護人の反対尋問に対する証言部分)、「右大倉次長等組合側の者から調査の開始時およびその後の段階において、とくに調査の具体的理由の告知を求められたことはなく」(原判決八丁)などという逆立ちした「事実認定」は証拠に正面から背くもので、証拠裁判主義の原則に明白に違背する。

五、原判決は、事実認定と供述証拠に関する最高裁判例に違背する。

(一) 事実認定と供述証拠の観方に関する最高裁判決

有罪、無罪の幾変転をとげた八海事件は第三次上告審の無罪判決で終止符を打ち、あまねく一般社会からの注目を浴びた。それだけに第三次上告審は刑事裁判と証拠による事実認定に関し苦労の成果を生んだ。その八海事件第三次上告審判決(最高裁判所第二小法廷昭和四三年一〇月二五日判決、刑集二二巻一一号九六一頁)の供述証拠に対する事実認定のあり方は、貴重な判旨として注目すべき内容を持つている。

「ところで、供述証拠は物的証拠と異なり、まずその信用性について、供述者の属性及び供述者の立場の全般にわたり充分な検討を加え、もつて信用性の存否を判断した上その供述の採否を決しなければならないのである」

(二) 原判決は明らかに右最高裁判所の判決に違背する。

右最高裁判所判例に従えば、先づ第一に、少なくとも、森、五十川の証言は、一方当事者の証言で、且つ自らは刑事事件になるなどとは思わなかつた、署長が自分らに相談なく告発したものという(森勇一審一八回、二審証言、五十川隆一審一八回証言)、いわば税務署上司主導型の本件事案において、充分な吟味を必要とする。特に一、二審各法廷とも、いつも税務当局の上司が傍聴し、森勇、五十川隆らの証言を監視しており、且つ森、五十川らから証言内容の報告まで求めて、いわば証言の事後監査までしていた静岡税務署上司の存在(森、五十川らの一、二審証言)を無視することは許されない。

しかも、原審第五回公判廷において証人森勇は、はじめて証言内容について上司の指導を受けていたという重大な告白をした。それによれば森は、昭和四五年一月二三日の一審公判に証人として出廷するに先立ち、静岡税務署副署長室で、自己の上司である竹村課長から証言内容を如何にすべきかの指導を受けていたというのであつた。

この告白によれば、静岡税務署員森、五十川両名は、本当は被告人柴山の昭和四〇年から同四三年までの三年間を調査対象年度として本件反面調査を行つたにもかかわらず竹村課長の証言指導により、昭和四二年分のみが本当の調査対象であつた旨証言した。「四二年分の調査をする場合は、四二年分の正しい所得金額を算出するためには、その四二年分だけではなく、それに前後する分も調べなければ四二年分の正しい所得がわからない場合がありますから、だから、そういう考えをもつて、そういう具合に指示したと思つております」「そういつた内容のものを法廷で聞かれたら証言しろと、こういうわけでしよう。はい」「どういう尋問があるか、ということは想定しておりました」という(鶴見弁護人の尋問に対する証言)。これは、本人の記憶や事実と異つた証言(上田弁護人の尋問に対する証言)をするよう竹村課長が部下証人予定の森勇に教唆したことつまり偽証が仕組まれたことを告白しているのである。そして森勇は一審において竹村課長の教唆に従い、偽証をしたのである。

しかも、森勇に対する竹村課長の証言指導、つまり偽証教唆は、単に調査対象年度だけの問題ではなかつた。森勇原審第五回証言によれば、調査対象年度だけで証言指導が終つた旨の内容はなく、逆に「私は静岡の裁判所へ出る前に、事実関係はあまりはつきり覚えておらなかつた」(石田弁護人の問に対する証言)というのであるから、証言の全般にわたる内容上の指導が竹村課長によつてなされたものとみざるを得ない。一審森証言は主尋問に対しては恰も立て板に水を流すが如くなされたが、しかし、それはつくられた証言だつたからであり、本当は「はつきり覚えておらなかつた」ことだつたのである。

一、二審で森、五十川が証言したさい、税務署の彼等の上司が傍聴していたのは、彼等の証言が、予め教えたとおりにさせるための監視に外ならなかつた。

私達弁護人が一審以来指摘し続けてきた、森、五十川らの客観的事実に明らかに反する奇妙で空虚な内容、例えば「説得口調」の発言をも「脅迫」と感じたなどという証言(森勇二審五回証言のうち鶴見弁護人の問に対する証言部分では、事実は説得口調だつたことを認めている)はこうした静岡税務署幹部の部下証人に対する偽証工作及び法廷での監視の産物の一例にすぎない。

森が「よろけた」という五十川隆一、二審証言も、よく突込んで聞くと、柴山の「背中からしか見えなかつた」「だいぶたつているから」「その辺のところは見ていませんでしたから」などと述べ、「よろけ」話に外ならぬことを明示した。静岡税務署幹部が森証人にのみ偽証工作をしたとは考え難い。森と同じ立場に立たされた五十川隆証人に対しても、森に対する偽証工作とほぼ同内容の偽証工作がなされたものとみる外はない。

従つて、真面目に検討する限り森、五十川の供述証拠を信用することはできない。八海事件第三次上告審判決の供述証拠の信用性に関する判示からするならば、そう観るのが当然である。

しかるに原判決は、実質上、この森、五十川両名の二審証言のみを(証拠の標目)に加えることによつて、比較的慎重に供述証拠を吟味した一審判決を破棄し、被告人両名を有罪とした。一審判決の証拠の標目と対比することによつて、この原判決がいかに予断、偏見に満ち、判例に違背し、いかに重大な事実誤認を犯したかが明らかである。

また、第二に、原判決の予断、偏見は農業協同組合職員の供述証拠の採り方にも判然と現われている。すでに前述一の(三)でも触れたとおり、本件の翌日、一審証人森内五郎藁科支所長、静岡市農協本所の池田部長、静岡市農協組合長の三人が静岡税務署長に、呼び出されていたのである。

◎森内五郎一審一一回証言

弁護人(佐藤)の問に対し、

あなたは、この事件があつたあと税務署員の方に会つたことありませんか

それ以後、私が税務署へ出向いたことはございます。

それは、この事件について出向いたんですか

そういうことです。

それは、どのくらい経つたあとですか

すぐですね。翌日でしたか、これは私と本所の池田部長と組合長の三人だつたと記憶しております。

それは、どういうわけで行つたんですか。

こういう事件があつたということの報告というんでしようか。ぼくは全然一言も税務署へ行つても喋らなかつたです。

行つてだれに会いましたか

署長ですね。鉾山さんといつていました。

会つたのは鉾山さん一人ですか

一人です。

他の税務署員は同席しなかつたですか

同席しておらないように記憶しております。

どのくらいの時間会いましたか

時間的にはわずかですね、五分もいたでしようか。

この事件について何か税務署の署長さんはいつておられましたか。

いつておつたことはちよつと記憶していないですけれども、

この証言内容は不自然である。自分の方から自発的に出掛けていつて「一言もいわない」などという事態は考えられない。従つて税務署から静岡市農協幹部に来て貰いたい旨の連絡があつて出掛けたとみるべきで、警察や検察庁の取調べに協力して貰いたい旨の要請を含む話が出るべきが当然である。特に、当の相手である鉾山署長は本件当日夜、森、五十川両名から話を直接聞きもしないまま、逸早く「告発」の決意をした(鉾山実三郎一審証言)というのであるから尚更である。鉾山署長が、何を言つていたのか「ちよつと記憶していない」というのは証言すると他に差支えるという性質の話だつたから、証言を避けた、とみることができる。

従つて森内支所長が「一言もいわない」というのは真相であり、署長の方から色々な「事件協力」依頼がなされたものであろう。鉾山署長としても本件反面調査を拒絶されたような情況を農業協同組合に続けられては、事件化するのに差障りだと考えて不思議はない。

してみれば、森内支所長、大倉支所次長らの証言につき税務署の意向に協力するという条件、立場が、本件の翌日すでに形成されていた、といわねばならぬ。森内五郎、大倉亀義らの一審証言については一審判決の観方こそが正しく、原判決は、採るべきでない部分を、有罪判決を書くためにあえて採つたものといわざるを得ない。その点においても、原判決は前記八海事件第三次上告審判決に明白に違背するものである。

以上

○昭和五〇年(あ)第九五八号

被告人 柴山静夫

外一名

弁護人小林達美の上告趣意(昭和五〇年八月一日提出)

原判決は憲法三一条に違反する。

一、原判決は、本件における静岡税務署員の公務執行は違法なものであるとした第一審判決を破棄し、これを適法な公務の執行であると判示した。その理由づけは、第一審判決が質問検査権の行使の要件について精緻な検討を加えたうえで、公務執行が違法であつたと結論するのに対比してみると、適法であるから適法だとするにとどまり、何ら合理的な説得力のある判断は示されていないと言えよう。

原判決は「所得税法二三四条三号が任意調査であるといつてもまつたく対等の私人相互間の関係とは異り、相手方が一般的な受忍義務を負い、その履行を間接的、心理的に強制される関係であることにも照らすと、両事務官が、右出張所における業務全般の責任者ではない牧野主任の態度を同組合の最終的意思表示と受けとらず、権限ある上司の直接解答を求めるため同出張所に留まつたからといつて直ちに任意調査の限界を越えた違法なものということはできない。」と述べている。

まさに、「相手方が一般的な受忍義務を負い、その履行を間接的に心理的に(罰則の威嚇において)強制される関係」であるが故に、その質問検査の要件は、厳格に解釈されなければならないのであつて、そうでなければ、当該税務署員の恣意的な判断により、国民の基本的人権が侵害されるおそれが多分に存在するのである。

二、ところで、所得税法二三四条は犯罪の構成要件でもある。すなわち、同法二四二条第八号は「二三四条一項の規定による当該職員の質問に対して答弁せず、若しくは偽りの答弁をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ若しくは忌避した者」に対し一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金という刑罰を以つてのぞんでいる。

従つて、二三四条一項の構成要件は明確でなければならない。そうでなければ、憲法三一条に違反する。しかしながら右の規定は文理的にも決して明確ではない。このため周知の如く二三四条の解釈をめぐつて、限定的に解釈しない以上違憲になるとする考え方(東京地裁昭和四四年六月二五日)あるいは二四二条の罪は身分犯であるとする考え方(東京高裁昭和四三年五月二四日)など、下級審判例もその解釈が区々にわかれている。

本件の第一審判決や、その他多くの判例や学説も、構成要件を検討し、質問検査権の理由の開示が必要であるとの結論を導いている。このように構成要件が一義的に明確でなく、解釈によつて区々にわかれるような刑罰法規は国民の人権保障が全うされないものであつて憲法三一条に違反する。

三、それだけではない。二三四条一項の要件と三号の要件とを併列的に解釈するのは原判決の根本的な誤りである。この点はどう考えても第一審判決が正しい。原判決は「三号の反面調査が法律上一号の臨宅調査の補充的規定であつて、後者の調査が不可能である場合に限り許されるものと解すべきではない。」という。けれども、三号の調査対象者は直接納税義務を負う者でも、納税義務ありと認められる者でもないのであつて、いわばたまたま調査の対象とされるにすぎず、この場合において、第三者は調査の目的も理由も告げられず、包括的に帳簿類の呈示を求められ、これを拒むことも許されないことになるとすれば、これを原判決のいうように単に当該職員の合理的判断と選択にゆだねてしまうということになると、その権限の濫用があつた場合においても、これを制止することはできないことになり、かくては国民の基本的人権は危殆に頻することになるのは見易い道理である。国民の基本的人権の侵害になるおそれのある場合は行政手続といえども適正な手続によらなければならないのは憲法三一条の要請する原理である。

原判決のように一号の調査も三号の調査もいずれを行使するかは税務職員の選択にゆだねると解するのであれば、二三四条は違憲であるという他ない。三号の調査はあくまで一号の調査の補充規定であると解してはじめて辛うじて合憲と解する余地があるにとどまる。

四、二四二条の罰則と刑法の公務執行妨害罪との関係は前者が特別法であつて、後者が一般法の関係にあると解すべきであろう。すなわち、「検査を妨げる罪」はとりもなおさず公務執行を妨げることに他ならないのであつて、一つの行為が二つの構成要件に該当することは文理上明白である。従つて、公務執行妨害罪のうち、質問検査妨害罪という類型をとり上げてこれを処罰することにしたものだと解される。

これに対して、検査妨害罪は公務執行妨害罪の補充規定であるとする考え方も存在するようである。しかし、例えば、商品取引所法一五七条但書や、証券取引法二〇一条但書のように「刑法一八六条の規定の適用を妨げない。」という立法の規定の仕方などと対比してみると行政法規の罰則が刑法各本条の補充規定であるとするならば、明文を以つてこれを定めるのが通例であるといえよう。

二四二条の規定は、その意味で、やはり公務執行妨害に対する特別規定とみるべきである。そして、公務執行妨害罪と、二四二条の罪との法定刑は後者が軽いのだから、たとえ被告人の行為が妨害行為に該当するとしても、それを処罰するには二四二条で足りるはずである。原判決は重い公務執行妨害を適用したことで、根本的に誤りを犯したのみならず、法の適正な手続を保障する憲法三一条にも違反するものといわなければならない。

以上

○昭和五〇年(あ)第九五八号

被告人 柴山静夫

外一名

弁護人鶴見祐策の上告趣意(昭和五〇年八月七日付)

第一点 法令違反(法令解釈の誤り)

一、原判決の判断

(一) 原判決は、第一審判決が、本件の税務調査にあたり森、五十川両事務官において、被告らの要求に応じて具体的な調査理由の開示義務を尽そうとせず、直ちに臨宅調査が不能であるとして農協南藁科出張所に対する反面調査を行なつたのは、違法であると判断したのに対し、「調査の理由および必要性の個別的、具体的な告知のごときも質問検査を行なううえでの法律上一律の前提要件とされているものではない」として、最高裁昭和四八年七月一〇日第三小法廷を引用し、さらに質問検査の対象者を所得税法二三四条一項一号所定の納税義務者等に限定するか、または三号所定の者にまで押し及ぼすか、その順序、方法等をどのようにするか等は「前記判例における実定法上特段の定めのない実施の細目的事項にほかならず、当該調査の必要性と相手方の私的利益とを比較衡量し社会通念上相当な限度内である限り、権限ある税務職員の合理的選択に委ねられているものと解すべく、原判決のように三号の反面調査が法律上一号の臨宅調査等の補充的規定であつて、後者の調査が不可能である場合に限り許されるものと解すべきではない」と判示している。

(二) しかしながら、原判決の右の法解釈は明白に誤りといわねばならない。

二、質問検査権の行使と適正手続

(一) 本件で森、五十川両事務官が柴山被告の所得税(調査の必要から考えれば、昭和四二年度分と思われるが、原判決はあえてそれを特定していない)の「調査」のため農協南藁科出張所(以下単に農協という)に対して「質問検査」を行なつたとされるその法的根拠は、検察官から所得税法二三四条一項三号であると主張されている。

(二) ところで、右条項については、同法二四二条八号の罰則との関連で憲法三五条、三八条に違反し、さらには、構成要件が不明確、あるいは、刑罰法規としては、構成要件のあり方が不合理であり、また行為と刑との関係があまりにも不均衡であるところから憲法三一条に違反するとの見解があり、早くから多くの論議を呼んできたことは周知のとおりである。

これら条項の違憲論に対しては、旧所得税法(六三条、七〇条一〇号)についてではあるが、最高裁昭和四七年一一月二二日大法廷判決が、一応の見解を示している。すなわち、憲法三五条、三八条違反論に対して、「憲法三五条一項の規定は、本来主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当でない」とし、憲法三八条についても「純然たる刑事手続においてばかりでなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする」としながら、旧所得税法の質問検査権規定が<1>刑事責任追及を目的とした手続ではなく、実質上も、刑事資料収集に直接結びつく作用を一般に有しないこと、<2>その強制は間接的であり、また、直接的強制と同視すべき程強いものではないこと、<3>質問検査権制度の必要性、公益性と右強制との均衡が失われていないこととして、結局、憲法三五条、三八条に違反しないと判示したのである。

(三) この大法廷判決の結論には、批判や疑問は多いが、最も注目されたのは、税務調査の如き、いわゆる行政手続にも、憲法三五条、三八条の保障が、基本的には及ぶとした点である。

このいみにおいて、またその限度においてこの判決は積極的な評価を与えられている。

この判示は、直接的には憲法三五条、三八条の関連での判断ではあるが、税務調査に、憲法一三条などの人権保障の見地から憲法三一条が定める「適正手続」の保障の途を開いたものとして大方の賛同を得たのである(北野弘久シユトイエル一二九、小高剛ジユリスト五三五、板倉宏ジユリスト五二六、税経通信二八巻三号、金子宏判例評論判時七〇-一五一)。判例解説(柴田孝夫、法曹時報二五巻三号)も「刑事過程における公正手続という局面からプライバシー一般、国家権力一般、もしくは非刑事的過程をも含めたものにおける公正手続という局面へ、視点を拡張していく一般的な傾向を見せたもの」と指摘している。

(四) このように見てくると、質問検査権の規定自体が憲法に違反しないとするならば、基本的人権の保障との調和の上に、その該当条文の合理的な法解釈がなされなければならない筋合である。この判決をふまえ、適正手続として、いわゆる理由開示、事前通知の必要性が一層強調(新井隆一、税のしるべ47・12・11)されるようになつたのも当然であつた。

第一審判決が、所得税法二三四条の質問検査権の行使は、被調査者において、調査につき受忍義務を負い、調査に応じないときは処罰の対象になるものであり、さらにまた被調査者にとつては、税務署員によつて調査を受けること自体、取引の信用等の種々の私的利益について何らかの損害を受けることになるものであるからして、納税者の基本的人権と深い係りあいをもつていると判示しているのも、このためということができる。

三、「客観的必要性」のいみ

(一) ところで「調査の合理的理由ないしは必要性」を具備することが税務調査としての質問検査権行使の適法要件であることは、学説、判例とも異論はない(学説としては、例えば北野弘久「現代税法の構造」二二四頁。税経通信二七巻三号。

新井隆一税法学二三二号。高梨克彦シユトイエル一〇九号。山田二郎税理一二巻一二号。岩橋憲治一二巻一一号など)。

原判決の引用する最高裁決定が「客観的な必要があると判断される場合」に質問検査の権限が認められるとしているのは、そのいみで当然のことである。問題は、この「客観的な必要性」の度合と内容である。

(二) まずここで「客観的」という以上、この必要性の度合は、当該職員の主観的な判断ではなく、一般人の判断にも受容れられるものでなければならないことが指摘できる。少なくとも、何人の目にも「合理的な理由がある」と映らざるを得ない程度の必要性が要求されるのである。しかもその内容は、一般的で漠然たる「必要」ではなく当該納税者に関する具体的な事情に基く、個別的、具体的な「必要性」でなければならない。本件のように課税処分のための調査(因みに前記最高裁決定が、ほかにも予定納税減額申請または青色申告承認、却下の場合、純損失の繰戻による還付、延納申請の許否等にあたつての職権調査に質問検査権が行使できるとしているのは、疑問である。これらは、いわゆる課税処分のための調査ではなく、この調査の目的範囲は、納税者から申請等があつた場合に、それが理由があるかどうかを検討する限度に止まるのであつて、間接強制を伴う質問検査の方法によるべき必然性は全くない(だからこそ山田二郎前掲九八頁、高梨克彦、税経通信二八巻三号七四頁は、「純粋な任意調査」によるべきだとしている)。これらは、納税者は、自らの利益を求めて申請するのであるから、調査に必要な本人の協力が不当に得られない場合には、理由なしとして却下すれば足り、体刑を含む罰則発動の余地はないのである。後述のとおり質問検査権規定が罰則と結びついていることを看過すべきではない。)の要件として論ぜられる際、申告納税制度の建前に立脚してこの「必要性」を申告以外に(あるいは申告はないが)納税の義務があると、相当程度の蓋然性をもつて推認され、これを解明する必要がある場合をいみするというのが、いわば通説、判例であつた。過少申告の疑いがある場合に限らず、正しい課税標準がいくらか、申告が正しいかどうかを確認する必要がある場合も含むという論は、申告納税制度の趣旨に背き、「必要性」の要件を形骸化するものとして批判されていた(これがエスカレートすると、所得税法二三四条の「必要あるとき」という明文の要件さえ「もともとあつてもなくてもよい枕詞みたいなもの」(柴田勲、税理昭和四八年一〇月号)という極論が生まれてくる)。たしかに課税の適正公平を強調するあまり「必要性」を一般化し、抽象化すると第一審判決も指摘する申告納税制度の本義から遠ざかり、税務調査は、事実上、税務当局による随意の「監査」と異ならないものに変質してしまうであろう。また、「必要性」の内容を広義かつあいまいにする見解は、所得税法二三四条が二四二条八号の犯罪構成要件でもあつて、刑事制裁と結びつかざるを得ない法的構造を看過した議論といわねばならない。

(三) 次に「必要性」の内容であるが、課税処分の手続を定めた国税通則法二四条、二五条が、税務署長の調査により更正、決定する、という「調査」とは、所得税法の場合、二三四条の間接強制を伴う質問検査の方法のみに限定されないことは明らかである。そのいみでは質問検査は「職権調査の一方法」にすぎない。そこで同条一項が「所得税の調査について必要があるときは、……質問し……検査をすることができる」と規定している文理に従うならば、特定の納税者の特定の年度における所得税について税務調査の必要(調査の合理的理由ないしは必要)がある場合に、その調査を遂行する上で、質問、検査の必要があると認められるとき、その必要(質問検査の必要)の限度において、質問、検査権を行使できるという趣旨に、これを理解するほかないのである。そうだとすると、ここでいう「必要」とは、「調査の合理的な理由」に加えて、いろいろな調査の方法の中でも、罰則の裏付があり、そのいみで最も強力な、いわゆる質問検査権の方法でなければ、調査が尽せないという程度に高度の、しかも限定された「必要性」を意味するものと解さねばならない。

(四) さらに、本件の農協における調査のように同条一項三号の反面調査、いわゆる調査対象とされた納税者の取引先に対する質問検査の場合には、その「必要性」がより厳密に検討されねばならない。つまり当該納税者の所得について「調査の合理的理由ないしは必要」があるというだけで、直ちに反面調査としての質問検査の「必要」が認められるのではなく、それがなければ、(反面調査でなければ)調査ができないという必要性、しかも、取引先に対して、罰則の威嚇を伴う質問検査権の行使でなければ、目的が達せられないというほどに差迫つた高度の必要性が要求されているといわねばならないのである。まさに第一審判決が判示するように「その行使の範囲は同条項一、二号の調査の場合よりさらに厳格に解すべきであり、この場合の質問検査権の行使は、同条項一号の納税者の調査の過程において、その調査だけではどうしても課税標準および税額等の内容が把握できないことが明らかになつた場合にかぎり、かつその限度において可能であると解すべき」(北野弘久「現代税法の構造」三二七頁参照)なのである。

得意先に対する質問権が創設されたのは、明治三八年第二一帝国議会である(但し、罰則なし。検査権規定も原案から削除された)が、当時、政府は、議会での批判にこたえてこれを濫用しないことを確約し、そのため、同年三月一八日大蔵省内訓「所得税施行上取扱方心得」を改正して、三九六条の二に、「他人ニ金銭又ハ物品支払ノ義務ヲ有スル者ニ対シ質問ヲ為スハ、之ヲ為スニ非サレハ所得調査ヲ完フスル能ハサル如キ場合ニ限ル」との条項を付加したのである(第一審で取調済みの吉田敏幸「質問検査権百年の歴史」参照。)

立法の当初から、このような限定的なものとして、設定されていたのであつて、このことは、現行法の二三四条一項三号の要件を解釈するにあたつて、重視されるべきであろう。反面調査が、当該納税者の信用をそこない営業に重大な支障を与えるのが通常避けがたいこと、また被調査者である取引自体も、少なからぬ迷惑をこうむり、しかもこれに応ずることを罰則の裏付をもつて、間接強制されることなどから、みだりに反面調査が発動されがちな事態に対するきびしい世論が厳然としてあり国会でも再々論議の対象となつて、税務当局も、何度かにわたつてくりかえし、職員にその濫用を戒め、やむを得ない場合でなければ発動しないよう通達している等々の事実からも、このことは裏付けられるのである。

(五) そこで我国における質問検査権行使の実態を見なければならない。

第一審では、証人宮田優治、同山本乾の証言によつて静岡における税務行政の実情が明らかにされている。

確定申告前に税務署は、「納税相談」と称して納税者を呼出し、推計で莫大な税額を押しつけ、応じなければ更正で攻撃をかける「更正」のための調査と称して、質問検査権を濫用し、反面調査を口実に取引先を荒し、営業と生活の基盤を事実上打崩してしまうことが行なわれている。執拗な税務調査のために健康を損ない、あるいは自殺に追いこまれたケースさえある。

この歯止のない税務調査は、税務当局が敵視する民主商工会や生活と健康を守る会の組織破壊に活用されることがあり、この場合は、一層、その濫用は甚しくなる。本件も柴山被告が所属する守る会組織を破壊する狙いがこめられていた事例の一つである。

とくに本件でも問題とされている反面調査における質問検査権の濫用は、目にあまるものがある。

宮田証人によれば、

「売先は納税者から商品を買つているわけだから、そういうところに行つて、あすこのを見してくれというと、そういう面倒くさいところのは買わない」ようになり、「極端な場合には、あそこの所得がいくら申告してあるというふうなことまで(署員が)いつてる場合があるわけです。そうすると、ここからうける打撃というのは非常に大きい。」しかも、「非常に細かい事務用品だとか車両の修繕費とかガソリン代、そういうふうなものまで徹底して調査しますから、その人の住んでいる周辺のそういう業者にほとんど当るわけです。すると、それらの業者はあのうちは脱税したんか」という風評が立ち、営業もうまくいかなくなる。取引銀行を調査されると、「銀行に対して授信用がせいいつぱいの場合は、それ以上にプラスして貸し出してくれるということが困難になる」。かくて反面調査は、納税者の基本的人権や営業の自由を著しく侵害するものとなるのである。

日本税法学会は、昭和四四年一一月の大会で、「質問検査権の濫用と認められる実態報告」を行なつたことがある。

その内容は、日本税法学会編「税法学」第二二九号に掲載されているが、そこに報告されている税務職員の質問検査権に名をかりた人権侵害の数々は、まことに恐るべきものがあるといわねばならない。

このように考えてくると、原判決は、本件について、所得税法二三四条一項所定の質問検査を必要とする客観的理由が肯定される限り、その対象者を三号所定の者にまで押し及ぼすか、その順序、方法等をどのようにするかは、実定法上、特段の定めのない実施の細目的事項にほかならないと解したのは、「金融機関に対する預金等の状況について把握する必要性が一般的に肯定される」と判示した部分ともあわせて、明らかに誤りであるといわねばならない。

しかも、本件の場合は、臨宅調査の際、柴山被告は、「調査の理由を明らかにして欲しい。そうすれば調査に応ずる」とくりかえし申述べ、この態度で一貫していた。そしてその調査の理由が同被告の昭和四二年度の申告の収入金額と、税務署において収集した資料との間に開差があつた点であるというのであれば、森、五十川両事務官は素直に、その内容を柴山被告の前に開示して、説明を求めることができたはずであり、また、そのことこそ必要であつたはずなのである。そのような要点をついた質問検査こそ、「必要性」に即したものといい得るのである。そうすれば、柴山被告が原審で述べているとおりそれが自己の収入とはかかわりのない資料箋であることをたちどころに明らかにすることができたし、その事実関係の解明に協力できたはずなのである。(現に同年度の所得について、課税処分取消訴訟が進められているが被告税務署長は、右資料箋については、何の主張もしない。)このような手順をふんで臨宅調査に際し、納税者の協力を求めていれば、何らの紛争もなく、従つて、農協に対する反面調査の必要も起り得なかつたのである。そのいみにおいて、森、五十川両事務官の農協に対する行為は、適法性の要件を欠くので、法の保護に価しないものということができる。

さらに付言すれば、両事務官は、調査すべき年度を超えて、昭和四〇年四一年度分の預貯金についても農協に資料を出させ、検査しようとしている。これらの年度についてみると、「検査の必要」はおろか、「調査の合理的理由ないしは必要」も存しないことは明白であり、完全に違法といいうるのである。この点について、弁護人は一審以来強調してきたところであるが、原判決は単に「所得税調査のため」とのみ判示して、この違法を見過しているのは、明らかに法令違反といわねばならない。

四、「調査理由」の開示

(一) 次に、右との関連で、「調査の合理的な理由」および「質問検査の必要」(以下これを綜合して「調査理由」という)を被調査者たる相手方に開示(告知)すべきかどうかの問題である。この点で早くから開示を必要とする学説が展開されてきた(例えば、北野弘久「実体税法上の調査権の法的限界」(杉村章三郎古稀祝賀論文集)新井隆一と前掲論文など。なお広瀬正「判例から見た税法上の諸問題」三二八頁は「なお当該職員が相手方に対して質問検査するに当つて事前にこれ(調査理由)を説明する必要があるかどうかについては、積極に解すべきであろう。蓋し質問検査を受ける者がその理由、原因を知らないままに、これを拒否又は虚偽の答弁をすれば処罰されるということは、その者の基本的人権を侵すことになるであろうし、又行政上の正当な手続的保障の原則にも反すると考えられるからである」とされている)。

いずれも基本的には憲法三一条の適正手続の観点に立つて納税者等被調査者の利益(人権)と適正な課税という要請との調整点をこの理由開示の履践に見出そうとするものである。

原判決の引用する最高裁の決定は、「客観的な必要性」と「相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり」としているのも、このような観点からと思われるが、理由開示については、「法律上一律の要件とされていない」とし、どのような場合に要件とされず、またどのような場合には、その履践が要求されるのかについては、明らかにしていない。

(二) しかしながら、質問検査権が必然的に間接強制を伴うものとして発動される以上、いわゆる「理由開示」は、原則として不可欠な要件とされなければならない。それはもとより憲法三一条(適正手続)の要請、あるいは三五条、三八条の趣旨に由来するが、規定のあり方自体もこのことを当然の前提としているのである。質問検査制度の目的は、課税の適正公平の実現にあるというのが、前記最高裁大法廷判決や、第三小法廷決定の判示であるが、これに協力しない一定の者に対して、二四二条八号が定める処罰は、右の行政目的をより効果的に達するための政策的要請に基くものであり、行政罰の一種であつて従つてその行為自体は、本来的に反社会性を帯びるものではない。しかもその不答弁や拒否が、それのみによつて、行政目的を直接阻害し、社会法益を具体的に侵害するものではない。せいぜい目的達成に便宜が得られないおそれが生ずるのみであり、むしろ推計方法による課税が広範に認められている。(調査拒否も、推計の必要性の要件を充すものとして一般に是認されている。なお最高裁昭和四五年一二月一八日第二小法廷判決、色川裁判官の意見参照)実情に照らすと、課税上の実害は全くないのである。

(三) さらに二三四条の質問検査が直接的な強制になじまない性格のものであり、相手方が質問検査に応じ、これに協力するかどうかは、所詮相手方の自由な選択にゆだねられねばならないのである。従つて協力を期待するためには、その選択なり判断なりが的確になし得るように、あらかじめ調査理由が開示される必要がある。そして、この開示は、相手方において自己が必要な質問を受け、必要な検査要求を受け、これに対する具体的な受認義務を負うていることを十分理解できる程度になされることを要する(前記広瀬正「税法上の諸問題」参照)のである。

(四) このことは、二三四条が掲げる「必要あるとき」という要件が、二四二条八号では、犯罪構成要件の一部を組成している関係からも根拠づけられる。すなわち、この「必要性」は構成要件要素であるから、この内容が、当該職員の内面における判断のみにゆだねられ、相手方の認識の及び得ないものであるならば、いわば白地刑法と変らないことになり、憲法三一条に違反する。その違憲の評価を免れるためには、その白地を埋め、相手方が了知できる形で外部に表明され、客観化されねばならない。その方法は具体的な開示以外にあり得ない。前記決定は「必要性」について「客観的」なものであることを要求しているが、その客観性は、当該職員以外の、とくに相手方の前に明らかにされ、認識されることが必要であり従つて形の面でも開示という方法で「客観化」されることが、当然のこととして要請されてくるのである。そうでなければ「客観性」を要求した趣旨は没却され、この要件を担保する手だては無に帰することにならざるを得ない。

(五) 仮に最高裁決定のいうように調査理由の個別的、具体的な告知が「質問検査を行なううえの一律の要件ではない」としても、本件のように柴山被告は、くりかえし、「調査理由」を問いただし、理由が明らかにされるならば調査に応ずる意思を表明しているのであるから、かかる具体的な事実関係の下では、質問検査権行使の要件として、あるいは少なくとも法的保護に価する公務の要件として、それ相応の「理由開示」がなされるべきであつた。またそれがなされたならば、何の紛争もなく、短時間で必要な調査が行なわれ、疑問点が解明されたであろうことは、前述のとおりである。この場合、森、五十川ら当該職員において素直に問題点を明らかにすることが「相手方の私的利益との衡量において、社会通念上相当なもの」との評価を受けうる途であつたのである。

従つて、これをなさず、臨店調査の際、いたずらに柴山被告に調査に服すべきことのみを要求し、かつ反面調査と称して農協に対する検査を強行したのは、職務のあり方として違法であることは明らかというべきである。

(六) なお最高裁決定後の下級審判例としては、盛岡地裁昭和四九年八月二一日判決がある。

同判決は、右決定をふまえながら、次のように判示している。

「調査の理由および必要性の個別的、具体的な告知は、質問検査権行使のため法律上常に要求される要件に該るとまでは解されない。しかし当該調査の目的、調査の事項、調査の進行程度あるいはこれに対する相手方の対応状況等の個別的、具体的事情に照らし、税務職員が調査の理由や必要性の告知をしないことが、明らかに不合理であると考えられるような場合において、なおこれを告知せずになされた質問検査は、もはや適正な質問検査権の行使とは評価されず、これに応じないことは、正当な事由によるものとして処罰の対象とはならないと解すべきである」として、質問不答弁の罪で起訴されていた訴因については、被告人の反問にもかかわらず理由を告げなかつた税務職員の行為は不適法であつたとの見解のもとに、不答弁罪の成立を否定したのである。

ちなみに昭和四八年一一月一三日と四九年二月一三日の二回にわたつて、全国の中小業者の決起大会が開かれたが、その結果集められた百万人をこえる署名をもつて「中小業者に対する税制改正等に関する請願」が国会に出され、昭和四九年六月三日、衆議院で可決されている。その中で「税務行政の改善については、税務調査に当たり、事前に納税者に通知するとともに、調査は理由を開示すること」明記されている。

税務当局は、この中小業者の当然の、しかも切実な要求に基く議決を遵守すべき義務を負うている。そしてこの議決に示されているように道理にかなつた内容は、所得税法二三四条の解釈の中でも生かされ、採り入れられなければならない。

(七) 以上のとおり、本件について理由開示を質問検査権行使の要件と解しなかつた原判決は法令の解釈を誤つたものといわねばならない。

五、結び

以上のとおり、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があり、これを破棄しなければ、著しく正義に反すると信ずるものである。

第二点 憲法違反

一、所得税法二三四条の質問検査権規定が二四二条八号の罰則を伴うところから、憲法一三条、三一条、三五条、三八条の各条項に違反するとの論議は、早くから行なわれてきた。

前記最高裁の大法廷判決は、憲法三五条、三八条について、旧所得税法の六三条、七〇条一〇号を合憲と解したが、その理由として挙げるのは、前記のようにこの場合の罰則による強制は、間接的であり、また直接的強制と同視すべき程強いものではないこと、および質問検査制度の公益性と右強制との均衡が失われていないとする点であり、この点を重視していることが明白に窺われる。

二、しかしながら、ここでいう強制の度合いとか、公益性との均衡は、言葉の上だけの説明では到底明らかにならないのであつて、事実に基いて考察しなければならない。

とくに、本件の柴山被告のような零細業者に対して行使される質問検査権が、もしこれに応じなければ、一年以下の懲役、二〇万円以下の罰金に処せられるという苛酷な法定刑の裏付をもつて強制的な効果を伴うものである以上、当然、右の権限を行使する側においても、十分な手だてを尽すべきことは当然なのである。そして、その一つとして、「調査理由」開示が位置づけられるべきことは、すでに詳述したとおりである。もし、最低限遵守すべきこの手続さえ、不要であると解されるならば、その問題となる事柄の性質や大きさとの関連において質問検査の相手は、自己の行動を自らの判断で選択すべき機会と素材が与えられないため、とにもかくにも、当該職員の要求するままに、従わなければならない破目に陥らざるを得ず、それ以外に対処の方法がないのである。

三、そうだとすると、これはまさに直接的な強制と変らないことになるばかりか、公益性と強制との均衡を検討し論ずる余地もないことにならざるを得ないのである。

従つて、質問検査権の行使にあたり「調査理由」の開示が本件についての原判決のように要件でないと解されるならば、所得税法二三四は、憲法三一条の適正手続の保障に反し、且つ一三条が国民に保障する幸福追求の権利(これはいわゆるプライバシー保護をも内容としている)を侵害するものであつて、違憲と断ぜざるを得ない。

四、よつて、所得税法二三四条を合憲とする立場に立つ原判決は、この点において憲法に違反し、破棄を免れない。

以上

○昭和五〇年(あ)第九五八号

被告人 柴山静夫

外一名

弁護人佐藤久の上告趣意(昭和五〇年八月七日付)

一、上告理由(結論)

原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

原判決の重大な事実の誤認は主に次の点である。

第一点、原判決は「反面調査の相手方が直接に納税義務を負う者でないこと等から実施の必要性及び方法等に関し、相手方の私的利益を優先させるべき場合があり右の利益衡量の上で臨宅調査に比してより慎重な配慮を要するものというべく、したがつて社会的相当性の限度内として許容される範囲についても臨宅調査の場合と若干の相違があることは当然であり」としながら(この考え自体違法、不当だが。この点については小林弁護人の上告趣意書参照)、事実を甚だ歪曲し、本件反面調査は、三回にわたる「臨宅調査の実施が実質的に不可能な状態にあつたものと認められ」るという明白に誤つた判断をなして、それを前提にしてこの臨宅調査が不可能であつたというのはとんでもない誤りである。

なぜなら、税務署員側には前期三回の臨宅調査において実質的には調査意思、調査行為はなかつたのであり、調査ができなかつたのではなく、調査しようとしなかつたのであつた。

したがつて、前記「若干の相違すら」結局は正しくは考慮されていない。この重大な事実誤認を前提にして本件反面調査を合法視している点が上告理由の第一点。

第二点は、大長、柴山被告には、暴行、脅迫行為は存在しない。通常の違法な国家権力の行使に対する抵抗、抗議の域を越えていない。

また、両名の間に何らの共謀も存しなかつた。この点も原告は、非常に事実を曲解している。

以下、その理由を具体的に述べる。

二、上告理由第一点について

(一) 森、五十川両税務署員が柴山被告宅に出向いたのは「たつたの三回」にすぎない。その各一回当りの調査時間はわずか数分であつた。税務署員は調査の具体的理由を告知する意思はなかつた。

一方、柴山被告らは、具体的事実をある程度言つてもらえればいつでも調査に応ずるつもりでいた。帳簿も見せる用意をしてあつた(柴山原審供述など)。

税務署員らは、税務署の確固たる方針として、第三者の立会いのもとでは調査する意思を毛頭持つていなかつた(森、五十川の一審以来の証言)。

しかも、その間、署員は時には「にたにたし」(二審水田証人。一、二審柴山、大長両被告)、立会い者の配置図を記し、その発言をメモにとる余裕を示したものの第三者がいる限り一切具体的理由は言わず、調査を履行しようとしなかつた。

この点に関連して言えることは、原審は税務行政の実情を全く理解していないし、田原裁判長の定年前に判決するということを口実にその旨を立証する証人を全部却下した強権的訴訟指揮のみ目立つた。

原審裁判所は、反面調査が臨宅調査より先行することや濫用されることによる納税者の深刻な取引上の被害の発生、調査の具体的理由を告げないことによる税務当局の思いどうりの、無制限の範囲にわたる不当、違法な調査が発生している事実を全く理解する能力に欠けていた。

サラリーマン裁判官には、その辺の自営業者の苦しみが理解できないのであろうか。

(二) 税務調査の現状は以下のとおりで、正に治外法権で納税者の自由、権利は否定されている。理由も告げず帳簿、請求書、領収書を無制限に事実上強制される、理由も言われずに「得意先はどこか」、「取引銀行はどこか」と質問する、推計押し付け課税による実所得以上の税負担の強制、この不当な更正の濫発、自主申告制度に基づく納税申告書の無視、修正申告の強要、病気の時でも強行される税務調査、多忙の時でも予告なしで来て強行される調査、そうした中でとりわけ民商、生健会の会員に対する差別、敵視、会の壊滅の企図、反面調査がなされると「そういう面倒くさいところのは買わない」ということからくる売上げの減少、所得まで取引先に知らされることによる信用の低下(以上一審宮田優治、同山本乾証人)、予告なしで早朝署員がやつてきて、ぼう然とする従業員をしり目にレジ、机、金庫、従業員の服の中まで調べるやり方、税理士に対してすら署員は「調査の理由、調査の内容を言う必要はない。上司の命令によつて調査に来た。税務署員は質問検査権がある。日の出から日没まで調査する権限が与えられている。調査を拒否するなら告発する」という発言をする。顧問の会計士が無視されて帳簿書類を全部税務署に持つてこいと言われる業者と(以上日本税法学界論「税法学」第二二九号)、税務当局の専制君主的な調査が、現在の税務調査の現状なのである。

したがつて、具体的な調査理由を署員に言わせることにより、調査範囲に限界を設け、必要最少限度の調査にとどめさせることは甚だ重要である。反面調査も、臨宅調査などではどうしても不十分なやむを得ない場合に限りなされるべきである。

この点について第一審判決は、

(イ) 調査理由開示要求は、不当な質問権査権の行使から納税者の正当な権利を守るため納税者自身に与えられた重要な権利の行使である。

(ロ) 被調査者にとつては、税務署員にとつて調査を受けること自体取引の信用等の種々の私的利益について何らかの損害を受けることになるものであるからして質問検査権の行使は納税者の基本的人権と深い係り合いをもつているものであつて、「徴税の便宜」ということに偏して運用されるなら、それは納税者の基本的人権にとつて大いなる危機をもたらすことになる。

と明言している。

この第一審判決と比較すると原審裁判官は、いわゆる化石化した裁判官の曲型であり、「徴税の便宜」のみしか考えず、税務調査が納税者の基本的人権と深い係り合いをもつことにいささかも思いが至らず、また税務調査の現状は人権侵害が恒常化されている。

実情を全く理解する能力に欠けていたのである。

国民は、一審裁判所はまだしも、裁判所は上にいけばいくほど悪くなる、という感情を率直に言つて持つているが、これは国民の基本的人権の侵害があつても心を動かさない、という化石化の程度が上にいけばいくほどひどくなつているからであろう。

裁判官は本来、感情を豊かに持ち、いささかでも基本的人権が侵害されているならば、敏感に正しく対応するのでなければその資格はない。

(三) 前記のように、本件前の三回の調査のうち、一回は柴山被告は超多忙の真中であつて(一審柴山周子、一、二審柴山被告)。

他の二回は、前記のようにほんの五分足らずで終了している。税務署員は、けんか腰の、官僚的な態度で終始し、所得税の調査にきた、申告が正しいかどうか調べにきた、立会人を立ち退かせよ、具体的調査理由は言えない、というのみであつた。(二審水田証人、柴山、大長両被告一、二審、森、五十川両税務署員の一、二審証言)

そして、第三者がいる限り、調査をしないのが税務署の基本方針であつた(森、五十川一審証言)。

そうすると、具体的理由は言う意思はなかつたし、調査を行なう意思をも署員はもつていなかつた。それでどうして臨宅調査が不可能だつたといえるのか。

第一審判決はこの点について、森、五十川両事務官は、一一月六日と一一月一四日の臨宅調査において、柴山被告らの要求にもかかわらず、一切調査をする具体的理由を告げず、もつぱら第三者の立ち退きを要求するばかりであつた。

この立合い自体違法視すべきものではないし、自分の方で調査した三件の取引資料によつて得られた収入金額と、同被告の確定申告した収入金額とはこれこれの差があつたので調査に来たと述べる程度では納税者の秘密を害することにはならない。と明言している。

この第一審判決のように、税務署員の違法、不当な態度、それに第三者がいる限り調査をする意思はないということ(第三者の立会いはもとより正当なことである。一審判決)が原因で本件前の臨宅調査はできなかつたのであり、それをあたかも被告らの方に原因があつたかのようにみるのは重大な事実誤認である。

このような誤認をする理由は、原審裁判官が税務署のやりたいほうだいにやつている、治外法権的な、専制的な税務行政の現況を全く理解する能力がないからである。そして、具体的な調査理由の開示や、反面調査は補充的になされるべきことが、納税者の基本的人権を守る上で必須不可欠のものであり、それが所得税法の要求するところであることをも理解していないからである。

三、第二点、暴行、脅迫、共謀の不存在

(一) 原審判決は、大長被告の暴行脅迫を認定した上で柴山被告も共犯関係にあつたとする。

しかしながら、大長被告には暴行、脅迫は存在しないし、共謀を認めるのもあまりにも乱暴すぎる。

(二) 大長被告の暴行、脅迫の不存在

(1) まず、暴行、脅迫を認定する上で注意すべきことは、本件の違法、不当な税務行政に抗議していたことである。第一審判決は、違法、不当な行為に対しては、それに対応する強い抗議の可能性を認めるが、これは当然のことである。

第二審判決は、本件調査を適法視しているが、納税者たる柴山被告は本件反面調査を断わつている。農協も本件反面調査を拒否している、また柴山被告らが本件現場に来てから再三にわたり具体的理由の開示を求めている(この点も原審判決は看過している)、森内支所長すら署員に具体的な調査理由の開示を要求している(森一審七回公判)。

このような場合、農協側の回答、要求、柴山被告らの要求を無視して、強行された税務調査に対し、強く抗議できることは当然である。

このような調査は任意ではない。原審の最終的には農協は調査を承諾したという認定は皮相的な形式論にすぎない。

このような場合でも、それ相当の抗議ができないというなら、それは民主主義国家とはいえない。

(2) しかして、本件の真実の姿は、すぐそばで本件を目撃していた農協職員がよく知つている。農協職員こそ、公正、中立なな第三者であり、被告らに敵意、憎悪をもつていた者の署員の誇大な証言とは違う。

農協職員の証言は、以下のとおりである(詳しくは弁護人佐藤久の一審弁論要旨、同小林達美らの控訴趣意書を参照されたい)。

(イ) 森内支所長 「暴力沙汰ではない」

「議論という程のものじやない」

(ロ) 大倉次官 警察や検察庁へ呼ばれて調書をとられることは予想していなかつた。

(ハ) 牧野光男 暴行、脅迫の事実は全く見ていない

(ニ) 望月一子 暴行、脅迫という感じは「全然もたなかつた」

(ホ) 安池美津子 「人をおどかしているような感じは持たなかつた」

(ヘ) 山脇洋子 「議論している感じ」(山脇一二回)

(ト) 大森京子 「なぜ警察官三人も調べにきたのか不審に思つた」(大森一二回)

(3) それに加えて、

(イ) 税務署員二人は、約二時間にわたり終始被告人らに暴行、脅迫されたとしながら、そのうちの一人は、ほとんど常にメモをとつていたこと、そのメモ量は紙十一、二枚分の多量なものであつたこと(一審五十川)。

(ロ) 暴行脅迫されたというなら、それを極近距離にいてその状況を知悉していた多数の農協職員が放置しておく筈はないし、少なくとも同席介在していた次長、支所長の二人は被告らの行為を制止するのが普通であるのに、そのようなことは全くなかつたこと(森内、大倉の一審証言)である。

また、森ら被害者とされる者からの農協職員に対する救援の要請もなかつた(森、五十川)。このような状況は、何よりも本件暴行、脅迫の不存在を示すものである。

(4) この点をもう少し詳述する。

原審判決は、以下のように暴行、脅迫の事実を認定している。

(イ) 被告両名共謀の上

柴山被告が両事務官に対し「お前ら何しているんだ」と怒号しながら五十川事務官が披見中の銀行調査補助用紙二枚、普通預金元帳を奪取する暴行を加えた。

(ロ) 大長被告は、森事務官に対し「こんな事をしやがつてぶん殴るぞ」と怒号して脅迫した。

(ハ) さらに被告人らは、森事務官が記録した銀行調査補助用紙を交付させようとして、引き続き約二時間にわたり執拗に交付を要求し、大長被告において「返せよ、出せよ、出さなければ三日でも四日でも帰さないぞ。」「君らにも家族があるだろう。平穏無事に暮らしたいだろう。生活に変化のないように出しなよ。」「外へ出れば腕づくでもとつてやる。おれ達は身体を張つているんだから」などと申し向けて脅迫し、森の抱きかかえていた鞄の取手を引つ張るなどの暴行を加え、もつて両事務官の職務の執行を妨害した、というのである。

しかしながら、(イ)被告らが仮に大声で何をしているのだと冒頭に抗議するのは前記のような本件反面調査の違法(不当)さから当然であり、これは何ら問題にならない。(ロ)両署員は、大長被告らを見ると「はつとするような、びつくりした」ような状態になり、あつという間にかたづけ作業にかかつた。

森はメモ用紙を鞄にしまい込み、五十川も「すぐ原簿の上で便箋をかくそうとしたのか二つ折り」にした(一審大長一五回、同柴山一四回。)

森らの証言によつても「急いで鞄の中に写し終つたメモを筆記具と一緒にしまいこんだ」「急いで中腰になつて入口の方に背を向けたわけです。それで急いで書類をしまいこんだわけです。

その時森は一〇〇%作業は完了していた(以下森一審七回)。

大長被告は、森らが何をメモしたのか知りたかつたが、森がすでに鞄の中に仕まいこんでいた。柴山被告は、何をメモしているのか知ろうと思つて、五十川の手から離れていたメモを見ようとつかんだところ、五十川はそれを見せまいとして「無意識のうちにつかんだ」(五十川一審八回)ため、メモ用紙は破れてしまつた。これは「奪取」というような行為ではない。

しかも、両署員は、柴山被告らの姿を見るや、自発的に従前の公務を中止してしまつているのであり、妨害されるべき公務はなくなつている。

柴山、大長両被告は、どうしてこんな調査をするのだという抗議はしているが「ぶん殴るぞ」などという発言はしていない。

もし、そのような事を怒号していたなら、大倉次長や、二、三メートル先の近くにいた女子職員らがそれを聞いている筈であるが、そのような事実は全くない。

(ニ) 「さらに被告人らは森事務官が記録した銀行調査補助用紙を交付させようとして、引き続き約二時間にわたり同所において、執拗に交付を要求し、被告人大長において『返せよ、出せよ、出さなければ三日でも四日でも帰さないぞ』等と脅迫、暴行したとの点について、

しかしながら、そのような脅迫、暴行は存在しない。

大長被告らが来てから、応接室で話合いが始まつた。

柴山被告は入口に立つたままで、二人の税務署員、大倉次長、されに大長被告は椅子にすわつた。

大長被告は冒頭「こういう信義にはずれるようなことをすぐするから困る」と抗議した。

森は「何言つているんだ、君らの方で勝手にやれと言つたからやつているんだ」と返答している(一、二審大長、柴山)。そして、署員らがまつ先に次長に要求したことは被告らの退去であつた。

大長被告はそのあと以下のような発言をした。

「私は生活を守る会の大長というものですが、このたびは大変失札しました。今日は柴山さんの要請でお邪魔しました。」

「税務署で調査できるのは本人に具体的理由を言わなければできない」

「このような銀行調査は本人の納得がなければできない」

「ですから写したものを返すように言つて下さい」

「税務署に一方的にこういうことをやつてもらつては困る。ほかにこういうようなことでショツク死したという事例もある」

「昭和二五年頃の国税庁の通達があつて預金者の預金の秘密を守らなければならない。我々の方で調査に応じないということではなくて、理由を言つてもらいたい。話の糸口を出してもらえればよいのだ」

「今からでもよいから調査理由を言つてほしい。今からその預金台帳に基づいて調査してよいから理由だけは説明してくれ」(森一審七回、五十川同八回、柴山同一四回、一九回、大長一五回、一九回)。

大長被告はこのような説明を長々とした(同前)。この大長被告の発言を森らは反論した。

すなわち、本人の承諾のない銀行調査は違法だという訴えは、訴えた者が敗訴している、この調査は必要があつて調査しているのだから返す必要はない、と反論した(一審森七回、五十川八回)。

大倉次長は二人の署員に「今日のところは返してもらえませんか」「写したものを私に預けてくれませんか」と要求した(同前)。この議論が延々と繰り返された。

これはせいぜい右の諸論点、すなわち本件調査は違法か否か、具体的理由を開示する必要があるか否か、メモした調査用紙を返す必要があるかどうか、被告らを退去させる必要があるか否か等をめぐる議論、論争であり、議論につきものの若干の興奮状態は双方にあつたであろうが、しかしそれは決して暴行脅迫では断じて無い。どうして原審判決のように「引き続き」約二時間にわたつて脅迫したと言えるのか。

大倉次長は、この議論は、普通とは一寸大きい声でなされましたが、全部が全部そういう話ではなかつたと証言している。

そして「片方税務署の方は関係ない人だから退去させて下さいと言うし、大長さんの方は関係ない調査だからこの書類は返して下さるようにというような話の内容ですから……これは所長を呼ばなければ」ということで、支所長を呼ぶことになつた(一審大倉)。

大倉次長が出ていつてから応接室内で大長被告は税務署員に対し「納税者に対し信義にはずれるようなことをすると、こんな姿は人に見せられない。誰があなた達のやつていることを信じてくれるのか」と抗議した(一審大長一五回、同一四回)。

大長被告が「出さんというなら三日でも四日でも帰さんぞ」「君らにも家族があるだろう……」云々のことを怒鳴つたりなぞ決してしていない。

この間署員の一人はずつとメモを書き続けていた。五十川は落ちついた態度で煙草を買つてきてくれと農協職員にも頼んでいる(証人望月一子)。

大長被告は五十川に煙草を渡している(大長一五回)。すぐそばにいた農協職員の誰一人として脅迫の言辞を耳にしていない(前記農協職員の各証言)。

支所長森内が来てからの経過は次のとおりである。

応接室で自己紹介のあと

所長は署員に対し怒つた調子で「どういう理由で見えられたんですか」

森 「柴山さんの所得税の調査をするためにお邪魔しました」

森内「私共も金融機関ですので預金者本位にならなければならないし、今度の場合本当に因つた」

森 「我々は署長命令で来ているんですからその人たちを立ち退かせて下さい」

大長「申告納税制度で申告は済んでいるんだから、税務署が調査する時にはするだけの具体的理由がなければできないんで……

それからこの銀行調査も本人の納得がなければ調査できない」

森 「本人の納得のいかない銀行調査は違法だという訴えは名古屋でもつて却下されています」

五十川「われわれは必要があつて調査しているんだから理由は言う必要がない」

こういう議論が相当繰り返された後

森内「どういう理由があつて調査に来たのか」

「調査の理由というのは具体的に柴山さんの所得税の申告がどこがおかしいのかというふうなことについてもはつきりさせたらいいじやないか」

「ここまでくる前に調査すべきことがあつたんじやないか」と署を強く批判した(森内)、

そして

「写したものを私に預らせて下さい」と言つている。

このあと署員の預り証をもらえるかという点をめぐつて論争された。

柴山被告の「おれの預り証を出そうか」という点は署員によつて拒否された。

この間も五十川はずつとメモをとり続けていた。

このようなことの繰り返しを原審判決は「引き続き」脅迫がなされたというがどうしてそんなことが言えるのか。

大長被告は、応接室の外で一回だけ森の鞄にふれたことがあつた。

農協の人に迷惑がかかるから外で話をしようという誘いの意味で「ぽん」とチヤツクの部分に瞬間さわつただけである。「引張つたり」「無理に引きずる」ようなことはしていない(大長一五回、一九回)。その際鞄の取手が切れたなどということは一審の認定どおりあり得ない。

やがて、大勢の税務署員が「監禁された」ということで「救出」? にかけつけてきた。

このように、税務署員のみ事実を歪曲した誇大な被害妄想にとりつかれていた。

すぐそばで目撃した多数の農協職員は、警察沙汰になるような「大げさになるようなことではなかつた」と一様に認識していた(例えば山脇の証言)。

被害者とされる二人の税務署員に直接介在した大倉次長、森内支所長らも「暴力沙汰ではなかつた」、「暴行脅迫というものはなかつた」(例えば森内の証言)。あつたのは、税務調査のあり方、写したメモの返還、被告らの退去等をめぐる論争にすぎない。

原判決はこのような全体的な把握を全く怠つている。原判決はこのような経過を全く事実誤認し、被害妄想の森らの証言のみ信用し、現場にいた圧倒的多数の真実の声を黙殺した。その結果、重大なる事実誤認をなしたものである。

(ホ) 共謀の点について

本件の共謀という以上、「暴行、脅迫」についての積極的な協力関係がなければならないし、客観的な何らかの行為からそれが認められなければならない。

原判決は共謀を認定した理由に以下の点をあげるが、いずれも理由がない。

(a) 柴山被告が大長被告と連れ立つて本件現場へ行つたこと、

これは税務職員の調査への対応策等の限度で共通の目的のもとに共同の歩調をとつていたこと、

(b) 被告人柴山は五十川事務官の手元から補助用紙等を奪取し、これと並行して被告人大長が森事務官の手元から補助用紙等を奪取しており、この段階における被告人両名の行為は共同の意思に出たものと認められること、

(c) 大長被告の「脅迫文言」の中で「おれ達」という言葉が使われていたこと、

(d) 柴山被告は、大長被告のやりとりを見守り、その所為を制止するような言動をとらなかつたことを理由とする。

しかしながら、仮に(a)の事実を前提にしても、(a)は暴行、脅迫をしようなどということとは無縁のものであり、何ら共謀の根拠たりえない。

(b)は、「奪取」というのは不適切な認定であるが、同時的に、何をメモされているのか補助用紙を見ようとしたにすぎない。

(c)は、一連の論争の中でそのような言葉が出たとしても大した意味はない。

このような言葉尻をとらえる考え方は全く詭弁である。全体的な考察力の欠如を如実に示す貧弱な発想である。

(d)は、本件は長時間にわたる論争、すなわち理由の開示、補助用紙の返還、預り、被告らの立退き等をめぐる論争を見守つていたのであつて、これがどうして暴行、脅迫の積極的な支援といえるのか。

このように共謀の認定も著しく事実を誤認している。

以上の理由からして、原判決は重大な事実誤認をなしており、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

以上

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